現代とクロスオーバーする1Q84

※超個人的な感想(ネタバレあり)

村上春樹さんは正直言うと昔ちょっと読んだ記憶と、

ネットの評判で食わず嫌いしてた。

知人が熱狂的なファンだと聞いて、興味が湧いて改めて中古本で買ったのがこの『1Q84』。

実家の本棚にあった事を思い出して懐かしい気持ちになった。

ソ連学生運動北朝鮮満州、カルト。

物騒なエッセンスが物語の本筋からはちょっと外れたところに散りばめられている。

登場人物が過去に学生運動してたとか、親が熱心な信者だったとか。

読了後は狐につままれたような気持ちになった。

すんなり主人公とヒロインがくっつくとは思わなかった。

ということは、(セックスの描写が多いにも関わらず)恋愛はそれほど重要なテーマでは無さそうだと思った。

どちらかというと、運命の相手だと心の底では分かっていても、

出会おうとしなかったことが、この作品において重要な部分なんだと思った。

なぜお互い出会おうとしなかったんだろう。

そもそもなぜ惹かれあったんだろう。

どちらもNHKやカルトといったコミュニティに親が属するが故に、自分の意思と関係ない振る舞いをせざるを得なかったからだ。

そんな親から離れた後でも主人公の書いた小説は自己表現が上手く出来ていなかった。

ヒロインも今では親と絶縁状態だが、老婦人の依頼で人を殺している。

老婦人の正義で人を殺すことに疑念を抱いていない様子は異常に映る。

凡庸なカルト信者の方がよっぽどマシだと思う。

ヒロインは身篭る。老婦人が意図していない行動をとる。

誰かの神じゃなく、自分の神様を持つ。

共同体に身を置いていることで魂までスポイルされてしまう事をこの本では伝えたいのだと思った。

カルトと信者、DV夫と妻、親と子供、国と国民。

1984』の世界ほど極端で無くても色々なところでそういうことって起きるんだろうな。

 

私自身も勤めている会社を優先して、

妊娠中に出血がある状態で休みを取らずに働いた。

働いているときは、自分の分身が働いていて、本体はずっと遠くにあるような気持ちだった。

リトル・ピープルがドウタを作ったように。

元より今の会社で働くことに疑問とストレスがあった為、そこにやりがいは無く、

妊娠の不安と板挟みになり自分を追い詰めてしまった。

休職や退職の選択肢が取れなかった。

「世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考えることなんてできない。」

女性の社会進出が進んだ今、

入院が必要でもないのに妊娠をきっかけに休んだり辞めるなんて甘えた女性だと思い込んだ。

誰も責任なんて取ってくれない。

胎児の心臓が止まってしまったと医者から告げられた後にこの本を読み始めた、

眠れないから読む時間はたっぷりあった。

今後も本を読む時間を大切にして生きていこうと思う。